ほとんどの認識に記憶は並存している。デカルトの「我思う故に我在り」も「我思う」を「我」が記憶していて初めて成立する。世界を見まわしても、ほとんどの事物、人物は知ったものとして存在している。初めて会う人物も、それが人間であることは知っている。知っているのは記憶による。
そして本質である。本質は認識の基礎、原点だとも言える。しかし、世の中では“本質”はとても広い意味で使われている。その広い意味をも踏まえ、そこにどのように記憶が働いているかを見ていかねばならないのだ。とても複雑に働いているが、それを見ることによって本質がより具体的に見えてくるのだ。